

沖縄民謡(正式には宮古民謡)に『御船の主』という曲がある(『御船ぬ主』とも)。
内容は「宮古民謡集」(平良重信著)の解説によると、新里村の御船の主が琉球からの帰りに逆風に遇い、南の島『あふら』(後から重要になってくるので強調しました)に漂着して現地人たちに殺害され、残された妻プクナイが亡き夫を偲んで歌った曲、というものだ。
当然なのだが一般的に知られている明るい感じの沖縄民謡ではなく、悲しいメロディーなのが特徴。
この宮古人の遭難の話だが、史実としては1871年の宮古島島民遭難事件がある。当時の琉球王国には人頭税というものがあり、これを納めに沖縄本島へ行った宮古、八重山の船四隻のうち、宮古船一隻が遭難し、台湾の東南海岸に漂着した。そしてこの宮古船に乗っていた69人のうち3人が溺死し、台湾山中をさまよった生存者のうち54名が台湾原住民によって殺害されたという事件だ。
かいつまんでご紹介するとこんな感じで、凄惨な事件ではあるものの言ってしまえば当時としてはありがちな話なのだが、実はこの事件が沖縄と台湾の歴史上のターニングポイントとなった。詳細は台湾史入門シリーズの本編をお楽しみに!

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台湾史入門⑩清朝時代Ⅵ-漂流の民と化外の民-
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宣伝も終わったところで沖縄民謡の『御船の主』の内容を振り返ってみたい。南の国のあふらに漂着したとの話は先ほど黄色マーカーで強調したので覚えていて頂いている事だろう。

こちらの写真にも説明があるが、『あふら』とは現在の台湾東部にある離島、緑島を指すのではとなっている。
一方の宮古島島民遭難事件だが、これは現在の屏東県の満州郷に漂着した。ということは少なくとも確認できるだけで二回、宮古島民は台湾に流され殺害されていることがわかる。
ここでもう一つ宮古民謡をご紹介しよう。『古見の主』(または『古見ぬ主』)という唄で、かいつまんで説明すると、いじめられてた亀の恩返しの話だ。どこかで聞いた事がないだろうか?しかしこの亀、我々のよく知るあの亀と違い、竜宮城に連れていくわけでもなく、ただ恩人の航海の無事を祈って船の後ろからついて行くだけなのだ。
初めて聞いたときは『玉手箱はいらないけど、せめて綺麗な乙姫様には会わせてやれよ、このケチ亀!』などと思ってしまったが、これだけ頻繁に流されてた事を知った後では、なんて素敵な亀さんなんだろうというのが今の感想である。これは単に私の性格が素直なだけで、決して掌返しの類ではないこともないかも知れなくもない。