幻想的なランタンの数々に物騒すぎる花火や爆竹、そして甘くて美味しい湯圓と、台湾の元宵節は魅力あふれる一日だが、今回はそんな元宵節の由来について幾つかの説を紹介しよう。元宵節については前回記事をご参考に。
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参考台湾の年中行事を知ろう④元宵節は内戦の日?
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文帝による呂氏一族平定記念説


物語は「項羽と劉邦」で有名なあの劉邦の死から始まる。劉邦の没後、跡を継いだ恵帝だが身体が弱く、恵帝の母であり劉邦の妻であった呂雉(りょち)が実権を握り、恵帝のライバルであった者たちの粛清を企て、恐怖政治を行なう。また恵帝亡き後は各地の諸侯王を次々と殺害し、その地位に自分の甥たちなど呂氏一族を配して外戚政治を執り行った。しかし呂雉亡き後クーデターが起き呂氏一族は皆殺しに。恵帝の異母弟である文帝が皇帝の座についた。文帝は二度とこのような事が起きないよう、平和を願い1月15日を民衆と共に祝う日としたというもの。
呂雉とは?
劉邦の側室の子であった趙王を殺害し、その実母である戚夫人の両手両足を切り落とし、目玉をくりぬく等し、便所に置いたという史書のエピソードから「中国三大悪女」の一人とされる。


親切な東方朔説
漢武帝(前156年7月31日-前87年3月29日)の時代、東方朔という大臣がいた。ある日、東方朔が歩いていると泣いている女性を見かけ…


当時は長期休暇などない時代。可哀そうに思った東方朔は

翌日東方朔は街でクジを売り始めた。


クジは飛ぶように売れたが、そこには全て同じ結果が…
大凶
1月15日、空から恐怖の大魔王が降ってき、街は燃え人々や家畜は全て焼死するだろう


13日、ロバに乗った赤い服の女性が現れたので民衆たちは




一説によるとこの女性、元宵の妹という説もある。いずれにせよ民衆たち、早速漢武帝に相談へ。困った漢武帝は東方朔を呼び出さし



そんなこんなで15日当日、街は大賑わい。街の外からも沢山の人が見学にやって来た。その中には元宵の家族も。こうして元宵は家族に会えましたとさ。めでたしめでたし。


因みに東方朔について知りたい人は以下を参照
親切な仙人説

話は玉皇大帝が可愛がっていた天鵞が地上に舞い降りた際、漁師に矢を打たれた事から始まる。
――――――天上界――――――




――――――地上界――――――



――――――天上界――――――


こうして人々は救われましたとさ。めでたしめでたし。

2つめの説と3つめの説の混じったバージョンや他の説など、まだまだ諸説ある元宵節。他の説を調べてみるのも面白いかも知れない。