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台湾史入門

台湾史入門②世界史の表舞台にて華やかにデビュー

前回は台湾の先史時代について紹介した。さて今回からはいよいよ歴史時代の紹介であるが、その前に少しだけ先史時代の末期について紹介してみよう。

今日のポイント

✔「フォルモサ」とは?
✔16世紀頃の世界の流れ

アイン
このブログのタイトルにも「フォルモサ」が使用されているね!

先史時代末期の台湾を取り巻く環境

澎湖島と化外の地

16世紀頃のお話。当時の中国(以下
)の頭を悩ませていたのは倭寇という集団だった。倭寇は海禁政策をとる明の沿岸を荒らしまわり、反撃に遭うと先ずは澎湖島へ逃げ、更に追撃に遭うと台湾まで逃げていったのだ。

一旦台湾に逃れると明は追って来ない。何故なら当時の明に於いて台湾は不慣れな上に異民族(原住民)が住む島で、なにより風土病が蔓延する恐ろしい島だと考えられていたから

なので倭寇にとって台湾とは絶好の拠点であった。一方これ以上荒らされたくない明は澎湖諸島を警備する「巡検司」が置かれた。明にとって澎湖諸島は倭寇から自らを守る最後の砦だったのだ。

澎湖島と中国、台湾の位置関係

豊臣秀吉と徳川家康

16世紀末から17世紀初頭にかけ、豊臣秀吉と徳川家康がそれぞれ台湾に朝貢を求めたが実現しなかった。

この頃の台湾は多部族に分かれていた原住民や前項の倭寇(漢人)がそれぞれのコミュニティーを形成していた島に過ぎず、統一政権や王朝などはなかったので、そもそも誰に朝貢を求めるべきかもわ分からなかったのだ。

フォルモサ

時は正に大航海時代。ポルトガルやスペインは一足早く東南アジアに進出していた。インドから東南アジアに出る際の重要な海路となるマラッカ海峡を押さえたポルトガルは、次にマカオを確保し対明貿易の拠点とした。日本に鉄砲やキリスト教を伝えたのもこの時代だ。

一方のスペインは西回り航路でアメリカから太平洋を横断するルートでマニラを拠点としていた。この時代なにせ強かったポルトガルとスペイン、当時のローマ教皇から「Youたち、西経46度37分を境に東をポルトガル、西をスペインで分けちゃいなYo!!!」なんていうトンデモ論が出ちゃうほど破竹の勢いだったのだ。(トルデシリャス条約)

赤線はポルトガル、青線はスペイン

そんな頃のお話。あるポルトガル船が台湾を「発見」。その美しさに「Ilha Formosa(麗しの島よ!)」と感嘆の声を上げたことから、ここ台湾を「フォルモサ(美麗島)」と呼ぶようになった、というのが通説なのだが、実はポルトガルはこの当時、航海中に見つけた綺麗な島を全て「Ilha Formosa」と称賛しその島の名前としてきたので当時フォルモサと名付けられた島は10を超す上、最近の研究によると台湾ではなく沖縄を指していたという話もあるが、いずれにせよ21世紀現在、フォルモサといえば台湾のみを指すのだ。

「イラ・フォルモサ!」台湾じゃなくて沖縄だった?(外部リンク)

アイン
ポルトガル人、なかなかの浮気者やね!
taka
「フォルモサ」は、今日では「美麗島」と訳されるよ。因みに高雄の美麗島駅は「最も美しい駅ランキング」で2位に選ばれたよ
画像引用元:台湾観光局

オランダの東アジア進出

イギリスとオランダの東インド会社

もちろん他の国も指を咥えているだけじゃない。イギリスとオランダはそれぞれ東インド会社を設立しアジアに進出してきた。

東インド会社とは?

政府から東アジアの貿易独占権を認められた特権会社であり、単に貿易を行うだけでなく植民地を管理するための統治機構の役割も果たした。

アイン
「パイレーツ・オブ・カリビアン」で見たことある!

オランダの澎湖進出と撤退

同じころ明や日本と貿易する拠点を作りたかったオランダだが、当時の明は固く閉ざされていた。また東南アジアはポルトガルの勢力が強く、その拠点を澎湖に求めた。

1604年と1622年の二回に渡り澎湖島を占拠したオランダだったが、澎湖は前述の通り明の統治下であった事から澎湖を巡り明とオランダが交戦、戦いは8か月に及びオランダは澎湖を捨て化外之地である台湾へ。

明も文句は言わなかった。その理由として明が台湾を元々統治していなかった上、鬱陶しい倭寇とオランダ、更には原住民を自分とは関係ないところで争わせちゃおうという考えがあったようだ。ともあれ結果としてオランダは1624年に南台湾に入植。これよりオランダ時代が始まったのだ。そしてそれは同時に、これより長く続く台湾の外来政権による統治の幕開けでもあった。

なぜ台湾は統治されてなかったか

もともと中国には中原(中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原)から遠くなればなるほど”野蛮な地域”とする中華思想があった事に加え、当時の中国を中心とした朝貢貿易においても海上交通の幹線上に位置しておらず全く重要視されていなかった。然しながら大航海時代以降、台湾は刷新された海上交通の路線上に位置する重要な拠点となったのだった。

taka
以前「台湾の今を知ろう‐地理編‐」でも少し触れた位置関係が台湾の世界史デビューの大きな理由になっていくよ
台湾史入門その前に②台湾の今を知ろう‐地理編‐

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今日のまとめ

✔明は澎湖島を統治していたが台湾は手付かずだった
✔大航海時代の幕開けでヨーロッパ諸国が東アジアまで進出してきた。
✔オランダは明ー日本間の貿易の拠点が欲しかった。
✔「フォルモサ」とはポルトガル語で「麗しの島」と言う意味。今日では「美麗島」と訳される。

taka
次回はオランダ統治下の台湾について紹介するよ

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